「カニ族」とは、1965年〜1970年代に流行った言葉である。当時、キスリングタイプのリュックが流行っており、この
リュックは横に長いので、まっすぐ歩くと、通行人にぶつかる。そこで、皆な周りに気を使って、カニみたいに横向きに
歩いたので「カニ族」という名が付いた。
旅の始まり
「月日は、百代の過客にして往きかう年もまた旅人なり。・・・・・」という奥の細道の有名な書き出し文 がありましたね。
そんな昔でも、世の中がいやになって旅した人がいた・・・ということでしょうか?もちろん、芭蕉の場合は、ちょっと違うみたい
です。どうも、その筋からの依頼で、日本全国を行脚しながら「諜報活動」をしていたということみたいです。
彼の俳句の端々に、各地で何が起こっているのかがわかるように秘密の暗号みたいな表現で表しているみたいです。
あの同行者の「曾良」も、どうも不思議な動きをしています。彼らは、忍者だったのか、諜報部員だったのか!
でも、芭蕉は各地を旅しながら、有名な俳句を残していますね。
凡人には、ただ単に趣があるとか素晴らしいという表現しかできないのでしょうが、奥深い意味が沢山込められているのでしょうね。
そんなに古典が好きでもなかった私が「旅」をこよなく愛するようになったのは、いつからだったのだろうか。
ヒッチハイクの仕方(左手の親指を立てて行き先に向けて、指をゆっくり振る)
旅に明け暮れる
大学時代になり、金はないけど時間を持て余していた頃に、「ヒッチハイクや旅」に関する映画などが出まわり、
hitching aride という歌も流行りだしたころ、うずうずしてくるものがあり、とにかく鹿児島から出たくなった。
金もないし、東京にいる友人を訪ねて行こう。と決心した。自分にとっては、一人旅の始まりであり、夢と希望に溢れていた。
「旅と旅行」とは、違うのだ。「旅行は、交通手段を使用して決まった時間、決まった工程で移動するが、旅は違うの
だ。旅とは、今日はどこにいくのかわからない。自分もどこかに行きたいとは思っていない。目的が無い。ただ、単
に北へ北へと進むのだが、そこには、時間の制約はない。自分もわからない。
今日はどこで寝ることになるのか、どんな人と知り合いになるのか。すべてが、真っ白のまま移動するのが旅だ」
的なことを友人や旅先で知り合ったヒッチハイカーと語り合った。
鹿児島から北海道まで旅した。旅して歩いた。とにかく、歩くのが楽しかったし、どこに行くのかがわからない行動が楽しかった。
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旅先での出来事の断片
京都駅で寝ているとき
真夏、京都駅も暑かった。そして、駅前の芝生にシュラフを敷き寝ようとしていると、いろんな所からきたヒッチハイカーが話しかけるので話し
に花を咲かせていた。すると、どこからか地元の爺さんが来て、「一緒にビールでも飲もうや」と言うので、そのまま、3人で着いて行った。
爺さんの家でご馳走になり、ちょっと酔った頃、「もう泊まれや」と言って、いきなり電気を消したかと思うと、抱きついてきた。なんだこの爺と言
いながら、逃げることにした。リュックがあるので急には逃げれない。でも、振り切って3人で逃げた。「おっちゃん嫌いか〜」と叫ぶ爺さんが走
って追いかけてきたのには驚いた。「ホモ」だった。
京都の街を歩いていた時
八坂神社の前を歩いていたら、どうみても「乞食」にしか見えない、ボロをまとい裸足で歩いている男性を見かけた。相手にしたくないと思い
、別なところに移動してゆっくりしていたら、彼もそこまでノコノコ歩いてやってきた。旅人と思い、仕方がないので話しかけると、東京から来た
人で、彼女にふられたので、歩いて京都までやったきたちゃんとしたサラリーマンであった。裸足で暑いのに傷だらけの足で毎日歩いていると
いうので、一緒に歩くことにした。そして、桂川のほとりで一緒に裸になって泳いで(?)いたら、近所の女性らしき2人連れが気になったらしく
話しかけてきた。彼は社会人でもあり、東京の標準語で調子良く話している内に今夜彼女たちの部屋で泊めてくれることになった・・一緒に泊
まろうと彼が言うので本当に彼女達の家におじゃました。すると、友人が沢山あつまってきて、その夜はドンちゃん騒ぎ。気がついたら酔っ払
ってそのまま寝込んでしまった。
次の日の朝、女性が朝食を作ってくれた。味噌汁付きの朝食は絶品だった。本当に美味しかった。京都の女性に感謝した一日であった。この
彼は、有名な出版会社の社員であり、気が向いたら会社に戻るといっていた。なかなかの「いけ面」であった。
<左が彼。右は筆者>
バイクで旅するなら、最低必需品は揃えよう。
旅先でも安心して使える目へのいたわり
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