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1970年代はどこに旅立った?
団塊の世代と言われ続けた「おやじさん」も、もうすぐ定年を迎える。
夢とチボウに溢れて、会社のために一直線に奔って来た「おやじさん」、今から、どこに行くのでしょうか?
人生100年。今から、新しい目標を持って進むのか、お金も十分あるので、悠々自適の生活を送るつもりなのか。
人それぞれでしょう。でも、ちょっと、新しいことを実践してもよろしいのではないでしょうか?
その前に、「温故知新」。1970年代をちょっと思い出しましょうか。
@フォークゲリラ
反戦のフォークが正々堂々とまかり通っていた時代でした。
替え歌もあったけど、オリジナルの曲も多かった。
「自衛隊に入ろう」 「機動隊ブルース」 「クソクラエ節」など、他にも沢山あったけど、記憶から薄れている。
やはり、自分的には、「自衛隊に入ろう」が一番、想い出深いし、懐かしい歌である。
A新宿
ここは、当時の若者の集合場所みたいな所だった。流行や遊びの最先端の地。そしてヒッピー、フォークゲリラなどが
出没した。
「べ平連」の若者が、ギター片手に歌いだすと、それに同調した若者がどんどん集まり、一緒に歌いだした。
不思議な雰囲気をかもし出す街、それが、新宿だった。
こんな街に憧れて上京した若者が沢山いた。
自分も、鹿児島からヒッチハイクで新宿にたどりつき、そして、一緒になって夜を過ごすことが好きだった。
一杯80円の立ち食いソバが美味しかった。
夏の暑さを感じさせない、すっきり感が漂う街、新宿であった。
B深夜放送
この時代、受験生は、反戦フォークや、海外からのポップ調の歌を聴きながら自分の将来を考えたであろう。
そんな情報は、「ラジオ」の「深夜放送」からであった。
夜中、こっそり「深夜放送」を聴きながら、自分を見出そうとしていた。
「オールナイトニッポン」「セイヤング」など、ほとんどの若者がこれらの番組に聞きほれた。
ビタースイートサンバの曲が流れると、浮かれるように机に向かった。勉強のためではなく、放送を聴くために。
「オールナイトニッポン」の人気DJ亀淵昭信氏は、日本放送の社長にまで登りつめ、最後は、例の「ライブドア」
問題で、辞職をせざるを得なくなったみたいだけど、多くのファンが日本国中に居た。
少なからず、若者にはかなりの影響を与えたのが、「深夜放送」でしょう。
C1970年代の流行言葉
「日活ロマンポルノ」 「あっと驚くタメゴロウ」 「ライダー変身」 「真空飛びひざ蹴り」 「あっしにはかかわりのねえ
ことでござんす」 「そりゃないぜ、セニョリータ」 「時間ですよ」 などなど・・・・ありましたね。
Dタレント編
「ゴールデンハーフ」 「レッツゴー三匹」 「シモンズ」 「ビリーバンバン」 「ドンキーカルテント」 「コント55号」
「内藤洋子」 「天地真理」 「浅丘めぐみ」 「中村晃子」 「小川知子」 「岡田可愛」 「小鹿ミキ」
「東京ぼん太」 「皆川オサム」 「沖雅也」 「バーブ佐竹」 「太田博之」 「ジェリー伊藤」 「白木みのる」
などなどいましたね。
1970年代の若者が、青春をどうとらえ、そしてどう過ごし、その後、社会でどんな貢献をしてきたのか。皆それぞれの
思いがあるでしょう。でも、そんな過去の思い出だけの世界に生きていては未来は無いに等しい。
今からの自分をどう生きるか、それが、一番皆さんに与えられた課題ではないでしょうか?
今の若い人に言いたいことがあるかも知れない。でも、当時の自分を振り返り、そして、その頃の自分に置き換えた
評価が必要だと思います。
下記の掲示板に1970年代の想い出がある人、あるいは、今の若い人で、当時のことに関しての質問や疑問があれ
ば、是非とも掲示して下さい。
昔と今とで、共通点があるような気がしていますが、それが、何なのかは、今の若い人の考えを直接聞かないこと
にはわかりません。
自分の心の中には、当時の自分とかなり共通点があるような気もしています。
この世は、何十年か周期で繰り返されている。人間が「生々流転」しているのと同じように、社会も「生々流転」している
と、信じて疑わない1970年代の若者の一人です。
[掲示板」
1970年代の若者と今の時代の若者